2016/5

5/31

こちらの週末はメモリアルデーにつき3連休でしたので、「公私問わぬ他部との交流により部門間とのコミュニケーション 

向上を図る」 という貢献評価シートのサポート活動の一環として(?)、NY支店6人で中米コロンビアはボゴタに 

行って参りました。 

As u may knowボゴタには当行の出張所があり、そこで以前2年間のスペ語トレーニーとして派遣されていた奴が 

現在NYにおりまして、彼にいろいろと案内してもらったわけであります。 

ていうか、え、2年も?語学? そんなプログラムが当行にあったこと自体全く知りませんでしたわ・・・。皆さん知ってました?  

彼はコロンビアの大学でスペ語をがっつり習っていたらしく、確かにペラペラやったんで最初ビビりましたよ。 

しかもその後アメリカって、、なんなんその無敵キャリア。  

現地ではボゴタ出張所勤務の奴とも飲みましたが、なんと現在当行駐在員は彼1人らしいすw  

ローカルスタッフはいますが、そんな、僕らより若い奴がこんな日本から見たら地球の裏側で1人で頑張ってるとは。。  

と、しみじみと感慨深い気分になりましたわ。 

ちなみに、ボゴタ出張所のビルを撮影しようとすると、警備員に全力で止められました。なんでやねん。 

休日なので僕ら一行以外は誰もいない閑散としたオフィスエリアだったのですが、、一体何を守ってんねんと。  

えにうぇい、2泊3日かつ乗り継ぎ込みで片道8時間程のフライトとやや弾丸気味でしたので、軽く観光して食って飲んで 

騒いでサクっと終わりでしたが、さすがは元ボゴタ出張所の案内付きのツアー。その全く隙のないプログラムにて 

レバレッジ効きまくり。「むしろ2泊くらいでちょうどよかったな。。」という程の満足感及び疲労感で現地を後にしました。

 

5/25

当部門で日々の業務で使用する情報端末(アプリ)ブルームバーグですが、最近は他部でもちょいちょい 

導入されているとも聞きます。 マーケットの様々なプロダクツのプライスやニュース等が見れるものなのですが、 

このブルームバーグ、まずログインすると最初の画面に歴史的に有名な人物の名言が出てくる仕様となっております。  

これはdailyで更新されるのですが、日に日にパンチ力が弱まってきておりまして・・・。 

数年前まではそれなりの格言が載っておりましたが、茲許は「え、なにそれ、全然響かんぞ。。」と、 

ネタ不足感否めない状況となってきております。 

先月なんぞはイチローが出てきました。 いや、そら偉大っちゃ偉大な人物やけど、普通にまだ生きてる、 

ってか現役やしなと。。  

そして極めつけは昨日分、ヘレン・ガーリー・ブラウンという人(まずこの時点で「誰やねん」なんですが)の名言、 

「年を取ると2つのことが大切になる。健康とお金だ。」 

み、身も蓋もねー・・・。 そらそうやろと。。 夢も希望もないただの自明の事実となってしまっておりましたorz 

嫌でも毎日目に入ってきますので、引き続きこの名(迷?)言コレクションに注視せざるをえない状況です。

 

5/24

タメネソ週末infoの続きですが、その後土曜は部屋の掃除&飲み会、日曜はサーフィソからの友人の送別会との 

流れでした。 

日曜のサーフィンは久しぶりにビッグウェイブ(NY対比)の予報でしたので、「絶対1人でも行く!」と心に決めておりましたが、 

やはりそのまま1人で行くことになりました。 朝イチなら行けるって人もいたんですが、午後から行ける人はいませんでして。。 

実はその後の送別会で送られる友人当人もサーフィンする奴なんですが、あと4日ほどで帰国するというスケジュール感に 

つき忙しかった様子。 

起きたのは正午過ぎ、前日がっつり飲んだとはいえ「やべ、寝過ぎた」と慌てて準備し12:55の電車に滑り込み、1人で 

ガタンゴトン揺られること1時間、やってきましたロングビーチ。ってわざわざ改めて言うまでもなくいつもの光景ですが、 

えにうぇい、内容は久しぶりの肩~頭のサイズ感の波で面(波のフェイス)もそこそこ良し。よっしゃーこりゃ楽しいぞーと。 

しかし途中からそのあまりに多い波数に疲弊。 「なかなか骨が折れましたよ」by大和田常務なタフ具合でした。 

沖に出られればすぐいい波が来るんで楽しいんですが、その沖に出るのが一苦労なんです。 

一回乗り終えるとブレイクポイントに戻るのが至難の業、冷たい水を思いっきり食らっては戻されるを繰り返し、 

「おい、ちょ、やめろ、いい加減にしてくれ」と、だんだんといらついてきまして、中盤myイライラがピークに達した時には 

「くっそーなめとんか!」と、無駄に1人で大声を張り上げている危ない人になっておりました。 

更にカレントも異常に強く、Let it beで流れに任せて2、3本程乗っただけで700m横に流されていた(あとでグーグルマップで 

ちゃんと確認しました)というエクストリーム具合。 

そんなこんなで、「なんか波いいのに異様に慌しかったな・・・」とのセッションにそこそこな疲労感を感じ、一応この後送別会も 

あるしな、との言い訳のもと、波もまだあったし体力も使い果たしたわけではなかったのですが帰ることにしました。 

トータルではもちろん楽しかったのですが、やっぱり冷たい海はつらたんやなと。。 日本の海が恋しゅうございますhere。

 

 

5/23

金曜は東京より出張で来られた偉い人との会食with市場部門NY駐在全員。 

これが、ある程度予想はしておりましたがむちゃくちゃ面白かった件。 

元々私の為替時代の上司だった方なんですが、その人の話の滑らなさは尋常ではなく、 

久しぶりにお話を聞けるということで楽しみにしておりました。 

蓋を開けてみると案の定もとい想定を超えるレベルの滑らない話ラッシュにみんなでむちゃ笑いましたわ。  

私が在籍した2010-12年当時の為替トレーディンググループ(市場営業部)は大半がH17-19入行の 

独身男で構成されており、その下の短期間の若いトレーニーも来る奴来る奴歴代みんなアホという 

奇跡の面白さを誇っておりましたが、その際の思い出話も出たことがやはり私としても嬉しかったです。 

連続休暇以外はほとんど休暇を取らず仕事しておりましたが、ほんとによく遊びよく働いたなーというリア充期間で、 

振り返る度にあの時代はおもろかったな・・・としみじみ物思いにふけってしまうほどでありますw 

今パッと思いつくだけでも3つ4つネタが出てくる程ですので、また何かいいタイミングあればここで紹介して 

いければと存じます。 

えにうぇい、1ネタも聞き逃すわけにいかんと、終盤なんぞは全力でmy尿意を我慢。「ぬおお・・・席を立てん」との 

嬉しい悲鳴の上がる、豪華絢爛な秀逸ネタオンパレードな宴会でした。 

「おもしろき こともなき世を おもしろく」 否、 「おもしろき ことを殊更 おもしろく」でしょうかね。 

高杉晋作的なノリで今後臨んでいかんとあかんなと、再認識したパーリナイでした。

 

5/19

昨日分につき、慌てて書いた為繋がりの悪く若干意味不明な箇所がございました。 

「特にファミコン版3はセーブデータがよく消えました」というところですが、何が言いたかったかというと、 

情報ソースも自分でプレイするか口コミかに限られ、プレイするのも1日1時間という制約が課され、 

更にその日々コツコツ積み上げたものが一瞬で消えてしまうこともよくあるという、過酷な環境だったということす。 

えにうぇい、そういう事情から、ドラクエに詳しい人は一目置かれていたということなのですが、実際私もその4つ上の 

当時小6の友達(しかもこの人の家にはファミコンすらなかったw 全部友達のを見てたのでしょうか?)を尊敬しておりましたし、 

「あの人はむっちゃドラクエを知っていた」と上級生の間で語り草となっていた、その時既に中2だった近所の宮地君という人物 

なんぞ、ちょうど6つ違いだった為に全く小学校でかぶることのなかった私の中ではもはや神格化された存在でしたw 

ふとしたニュースから3日にも渡りドラクエトークを繰り広げてしまいました。単に思い出を語りたかったのもありますが、 

一応伝えたいメッセージもございます。それは自分はドラクエによって成長させられたな、ということでして・・・。 

おそらくその小2の1年程で私の語彙力は爆発的に増えたのではないかと。 小2の指導要領を遥かに超えるゲーム内容に 

最上級生とのトーク。 +嫌なオマケとして積み上げたものが一瞬でなくなる理不尽さ、泣いても親も誰も助けてくれない、 

自分でもう一度やり直すしかないという世の中の厳しさを思い知るわけです。 

その後4年生でやったドラクエ5では父から子、子から孫という壮大な大河ドラマ(byしょこたんinアメトーク)の中で結婚、 

両親との死別等、心を揺さぶられて感受性豊かになりましたし、ドラクエを通していろいろ学べた気がします。 

ちなみにその時期は並行してロックマンもやっておりましたので、英単語も(田舎の小学生にしては)覚えておりましたw 

当時同級生でドラクエ含め一生懸命ゲームに打ち込んでいた友達が2人思い浮かびますが、その2人は他の同級生対比 

それぞれの分野で活躍しているように思います。  

ってなわけで、皆さんもお子さんが小学生に入る頃にはゲームを思う存分やらせてあげてください。休憩を置けば1日1時間という 

制約をかける必要もないと思います。 自分の経験上勉強したり本読んだりするほうが視力落ちますんでね。。

 

5/18

FOMCミニッツ(議事録)を経てドル円金利上昇している中、ドラクエ3issueの続きでござます。

上級生が3,4人僕の家に遊びに来た際に、ドラクエ3のいろはを教えてくれました。 

教えてくれたと言っても、仲間を作って武器を買って装備して等々の操作を僕の代わりにワイワイみんなでやってたような 

感じだった筈です。 その辺りの記憶は曖昧でして、既にその時小2に進級していたかすら忘れている程ですが、 

最初のルイーダの酒場で仲間を作る際に、やたら「ぶとうか」(武闘家)を勧められたのだけはよく覚えております。 

これまた6、7歳の語彙レベルを遥かに超えておりますので、私は「え、ブドウ?何それ?」と、全くそのアドバイスの 

ありがたみを把握できていなかったわけでありますが。。 

そう考えるとその上級生のレクチャー諸々を私がどれほど理解できていたかは甚だ疑問ですが、えにうぇい、おそらくこれを契機に 

「仲間を連れて冒険する」、というドラクエ2以降の基本を習得したのは確かです。 

で、その後は4つ上の近所の友達(当時小6)と、ひたすらドラクエ3の話をしていました。 

もしかすると周りの環境によってはピンと来ない方もいるかもしれませんが、当時の小学生男子の間では「ドラクエを知っている」 

ことが相当なステータスとなっておりまして、マラソン大会優勝者よりも格上の存在でした。 

インターネット等というものはなく、頼みの公式ガイドブック(エニックスの公式攻略本)も、全ての項目が網羅されていない仕様だった為、 

自分で試行錯誤しないといけないことも多かったのです。  バラモスを倒した後の世界なんぞは完全に秘密にされており、 

真のラスボスはバラモスではなくゾーマだということを、当時の我々は口コミでのみ知るわけであります。 

特にファミコン版3はバックアップ型ゲームソフトの走りで、セーブデータがよく消えました(*)。  

かかる環境に加えて更に「ファミコンは1日1時間」という制約のあった一般家庭のちびっこ達にとっては、バラモスを倒して裏の世界に 

行ったことがある人なんぞ雲の上の存在だったわけです。(もうちびっとだけ続く。次回完結編です。) 

*註) セーブデータが消えた時はガチ泣きです。僕の人生後にも先にもあれだけ泣いたのは、ドラクエ3で船入手直後に消えた時と、 

    4で5章に突入してようやく勇者を操作できるようになった直後に消えた時、この2場面以外には思いつきません。 

 

5/17

こっちでは日本のニュースをチェックするのに日経新聞以外ではヤフーニュースをチェックする人が多いです。 

私も最近そうしておりますが、なんや「ドラゴンクエストヒーローズ2」というゲームがリリースされるなんてニュースが 

出てきまして、「え、なんなんそれ」と。 

山田孝之森山未来が声優する?え、ウォーターボーイズ? まあ両方俳優としては好きですし 

ウォーターボーイズもむっちゃ面白かったですが、ドラクエはさすがにプロの声優使ってほしいなーという。 

ってかそもそもドラクエに声優なんていらんやろと。  

まあそうは言っても1~6までは一生懸命プレイし、六本木ヒルズドラクエ展にも行き、そこで買った 

はぐれメタルキラーマシンのフィギュアを未だにオフィスのmyデスクに飾っている弊職としては気になりましてですね、 

ちょっと調べてみました。 

どうやらドラクエの世界観に「無双」シリーズのシステムを加えたアクションRPGらしいですね。 

1の評価を見ると賛否両論あるものの、総合評価は悪くありません。 

まあでもやりませんけどね。少なくともこっちにいる間はRPGやったら負けかなとw 他にやることあるやろと。  

そもそも飲み会やらサークルやら友達付き合いが急増した大学以来は、ほとんどドラクエをやれておりません。 

PS2版の5だけ、大学時代にそこそこ極めましたが、7も8も序盤でやめてしまい、9、10は未プレイです。 

やはり僕らの思い出は小学生時代の3~6でして、特に3は当時の上級生の友達が全員やっていました。 

僕は確か小1の時に3を始めましたが、6歳には難しい内容で、同級生はほとんどやっておりませんでした。 

何せ、まず説明書や攻略本の漢字が読めま10w  「打撃」とか「廃墟」とか読まれへんっちゅーねん。 

「そうび」の意味すら分からない情弱もとい未熟具合にて、仲間の増やし方も勿論わからず、1人で旅に出て 

スライムとおおがらすにフルボッコされて死亡、みたいなことを繰り返し、 

「え、なにこれ全然おもんない。親父が週刊誌で仕入れた情報によると3はむちゃおもろいはずやのに。。」 

と不思議に思った記憶があります。 

そんな矢先に上級生が3,4人僕の家に遊びに来て、そこで初めてドラクエとは何たるかを教わるのでした。 

(つづく) 

 

5/16

週末土曜はロングビーチでサーフィンして来ましたが、東京から出張で来たゲストを迎えて、という形でした。 

大学時代の同級生で野村で働いてる奴なんですが、彼は僕より先にサーフィンを始めており、おそらく僕が 

サーフィンを始めたのはこいつの影響でして、今までもハワイ、バリ、奄美大島と遠方へのサーフトリップも含め、 

ことあるごとに一緒に海に入ってきた、いわば同志みたいなものすわ。 

最初は歴然たる差があったものの、僕の実力もmy努力によりかなりcatch upしており、今や肩を並べる 

くらいになったかもしれません。えにうぇい、久しぶりの再開でしたので楽しみにしておりました。 

彼はJFKの空港に11時着、そこに同じ野村證券の同期が車で迎えに来て、ホテルには寄らず海へ直行するという形。 

板はその同期が用意し、僕がウェットスーツ、ブーツ、グローブを貸してあげるという至れり尽くせりの好待遇を発動、 

万全の態勢で臨みました。  

ちなみに僕は朝も同じロングビーチで別の人と入っておりましたので、午後のセッションは2ラウンド目でした。 

波は小さかったものの形は悪くなく、しかもポイントには我々3名しかいないという独占状態につき、がっつり楽しめました。 

元々テンション高い奴なんで、寡黙なもう1人の友達を横目に僕らは「(波が)キタキター!」「よっしゃー!」 

等と、乗る度に大騒ぎしており、波待ちの間の会話も冴え渡り、「やっぱ仲良い友達とサーフィンするのは 

最高やな」と、映画ビッグウェンズデーの1シーンを思い出したりしながら、しみじみ思いましたわ。 

そして今回大きな収穫が、その寡黙な野村の奴と知り合えたこと。 

彼はマソハッタソに住みながらも車を所有するという、サーフィンに全リソースを注いでいるような奴でしてw、 

これから彼と一緒に行けばかなり楽チンになります。 

聞けば今まで1人で海に行っていたらしく、今後は一緒に行こーぜと、仲間が増えてメデタシですわ。 

というわけで、皆さんもNYのビーチご入用の際には是非ご一報ください。 

空港からの送迎・レンタル全て込み。到着後すぐにロングビーチに移動します。夕食まで存分にサーフィンをお楽しみください。

 

5/12

ダウンロードのきっかけは何だったか忘れてしまいましたが、私「漫画無双」というアプリを持っております。 

うさんくさいというかB級くさい名前の割にはなかなか秀逸なアプリで、広告がちょいちょい出てくる代わりに無料で漫画が 

読めるというものです。 

先月でしたか、「ドラゴン桜が全巻読める」というノーティスが携帯のポップアップで上がってきたので、 

「おお、そういや一度ちゃんと読んでみたかったんよな」と、ここのところ主に週末にこつこつ読んで 

おりまして、先週末に全て読み終わりました。 

いやー、おもろかったすわ。 これは中学か高校生の時に読みたかったなと。 

連載していたのが2003~07らしく、連載開始当時既に私は大学生でしたので、いずれにせよそれは 

叶わなかったわけでありますが、これがあったらもっと勉強に対するモチベーションや効率も上がってたやろなと。 

ちなみに僕は専ら受験勉強のモチベーションは「東京大学物語」(江川達也著のマンガ)で上げてましたw 

で、もともとの入りといいますか、初めて存在を知ったのはドラマからでしたが、たまに実家に帰った際に弟が 

見てたのを横目で見てておもろそうやなと。 ちらっと原作も読んだ際には、ちょうど私が受験した2002年京大入試の 

英作文の問題が作中で出てきたりしまして、「うおおこれめっちゃ覚えてるわー」と多少興奮したりしていたのでした。 

なのでいつか読みたいと思いながらもその後忘れ去っておりまして、この度ようやく全巻読破となったわけです。 

まず、序盤の「入り」というか、「掴み」がよかった。京大でも早慶でもなく、東大理I を目指すという戦略、ロジックが 

「おお、なるほど!」と。 理I と学部を絞ったところがセンセーショナルで良かったと思います。 

と、ここまで書いて時間がなくなりましたので、後日続き書きます・・・。

 

5/11

若干汚い話で恐縮ですが、NY拠点のトイレはセンサーによるセミ自動洗浄となっております。 

うまくセンサーが反応しない場合には手動でも流せますので「セミ」と表現したわけですが、センサー感応度は 

個室によってかなり差があり、終わって立ち上がるも全然流してくれないor逆にまだ最中なのにちょっと上半身を 

動かす毎に敏感に反応し全力で何回も流してしまう等、中には極端なブースもあります。 

僕は後者のタイプがうるさいし水ももったいないしで苦手で、なるべくそのブースは避けるようにしておりますが、 

みんなに悪影響を及ぼすという点では圧倒的に前者ブースが曲者です。 

アメリカ人は流れたか確認しない傾向が強いのか何なのか知りませんが、まあ豪快に残っとるわけですわ。。 

それもたまにならわかりますが、頻度高杉なんすよね。 

ドア開けた瞬間テンションだだ下がりでございまして、まじ大人なんやからちゃんと流せよと、ほんま勘弁してくれでございます。 

みんなの願いが通じたのか、掃除のおっちゃんのテンションが下がったからなのか、先週から「Even if you are in a rush please remember to flush」というNoticeが、 

特に流し忘れ顕著な問題児ブースの内側に狙い撃ちで貼られておりました。  

つまり、「たとえ急いでいても流すの忘れないでください」なんですが、アメリカで、しかも極めてインターナルな貼紙、かつ通常なら 

悲痛な叫びになる筈の主張にもかかわらずこの懇切丁寧な物言い、そして 「え、LINEのスタンプ?ってかカナヘイ?」 

ってなあんばいのほっこりしたかわいいキャラのイラストが添えられている、なかなか好感の持てる貼紙であります。  

もしかして日本人が作ったのかもしれないですが、なんか汚い話の中にもちょっと和んだような、そんな気がしたトイレタイムでした。  

その後1週間程のmy実感ベースでは、この貼紙によりかなり状態は改善されたと思われま。 

 

5/10

先日ベビーメタルのビルボードチャート入りの話に際してシンセ奏者・作曲家の冨田勲氏の話をここでしましたが、 

なんとタイミング良く5/10付日経新聞の「春秋」で触れられてました。 

「え、、いやでもちょー待てよ」と。ここに名前が出てくるってことは、死んでもたんちゃうかと読み進めていく 

と案の定その通りでしたorz せっかく最近その存在を知ったところやのにもうお亡くなりになったとは・・・ 

と、ちょっと悲しくなりました。 

冨田氏はシンセ奏者の先駆け的存在とのことで、傑作と言われている「月の光」というアルバムをネットで 

少し聞いてみましたが、なるほどなかなか幻想的な音。 このアルバムはドビュッシーのカバーらしいので、 

As u may knowもともとドビュッシーピアノ曲は幻想的なフワっとした感じなんですが、それがアレンジ 

されて更に幻想的、いや夢幻?夢想?幽玄?的になった感じにて、うん、幽玄が一番かっこいい表現かな、云々、 

えにうぇい、おそらく当時としてはかなり実験的な音づくりだったんじゃないでしょうか。 

元祖チルアウト系とでも言いましょうかね? 今夜は寝る時にこれ流してみるかと画策しておりま。

 

5/9

本邦勢の方々、連休はいかがでしたでしょうか。 こちらは通常通り営業、ドル円に関しては105円台まで下攻めも 

ありましたが週明けでショートカバー炸裂、一気に108円台回復しております。 

連休で海外行かれた方にはベストな値動きだったんじゃないでしょうか。 

さて、私は先週末は土曜日は災害対策訓練で郊外(NY州ですが、電車で50分くらいかかります)にて休日出勤の後、 

ロングビーチで1人サーフィソという流れ。 NYでは珍しく1日トータルで実に4時間弱電車に乗ったことになります。 

土曜は天候こそ曇天にぱらぱら小雨降りーのやや肌寒いーので今ひとつでしたが、波予報が良く、実際朝から 

見ていたロングビーチのリアルタイムWebカメラの映像では波自体は最高のコンディション。 

「うおおなんでこんな時に限って年に1~2回しかない災害対策訓練がブチ当たるんやー」と、 

自分の運命を呪いましたよ。。  

午後はややコンディションが落ちるも、逆に天気は回復し気温も上がる予報。これは行かんわけにはいかんと、 

訓練から帰宅後15時の電車で海に向かいました。 アズアリザルツ海に入ったのは16時半過ぎでしたが、 

日没が20時と茲許日が長くなっているhere in NYではそれでも充分できます。 

ただ、波はあったものの朝のレジェンドクラスの映像とは違い、かなり波質は落ちていました。  

そしていつも使っている板じゃなかったので僕のスキル的にも今ひとつなパフォーマンス。 

いつもの板とセミドライスーツを知人の家に置かせてもらっていたのですが、土曜午後はその人の都合が悪く 

使えなかったんですよね。。 

板はともかくセミドライないと寒いやろなと思いながらもやむなしでウェットスーツで入りましたが、やはり水は 

かなり冷たく、途中からは 

「ガチガチ、あんちゃん、あっちのアメ公は暖かそうでええのう。わしゃあ普通の3ミリスーツじゃけえ震えが 

止まらんよグスン、くやしいのうラララ」   

と、余裕の表情で僕の隣でやっていたアメリカ人を横目に、近藤隆太byはだしのゲンが降臨した水準でした。 

それでも何とか19時まで敢行し、それなりの満足感を得ました。 

翌日曜はソフトボール&BBQというイベントに参加しましたが、昼から飲んで試合したせいなのかそこそこな頭痛を 

引き起こし、夜は暇してたにも関わらず帰宅後は漫画読んで9時に寝てしまいましたわという貧弱ゥ具合でしたorz 

その分体力は全快しましたんで、今週は飛ばしていきまっせー。